昔、人はこう信じていた。
「小鳥の言葉は、神様にしかわからない」
小鳥はただ鳴いているだけ。
そこに“意味”なんてない——そう考えられていた。
しかし、ある観察方法が生まれてから世界は変わった。
小鳥は 鳴き声で明確なメッセージを交わしていた のだ。
仲間を呼び、危険を知らせ、安心を伝えていた。
> 見える方法が生まれた瞬間、世界は意味を持ち始める。
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同じことが**「痛み」**でも起きている。
長い間、痛みは曖昧なものとされてきた。
「どこが悪いのかはっきりしない」
「気のせいなのか、心なのか、筋肉なのか」
その正体は不明、とされていた。
しかし、観察が進んだことでわかったことがある。
痛みは“点”ではなく “領域(ポケット)”として存在する。
身体には、
痛みが生じ、
蓄積し、
増幅する 場所 がある。
その場所は、感覚ではなく、
触診・圧痛閾値・皮膚温などの客観的指標で“確認できる領域” だった。
痛みは「その人の感覚」ではなく、
皮膚の上に存在する“現象” だったのだ。
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痛みの位置がわかれば、
原因がわかる。
原因がわかれば、
介入できる。
そして、
介入できれば、
痛みは変わる。
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世界はいつも、
“見える”ようになった瞬間から変わり始める。
小鳥も、
細胞も、
そして——痛みも。
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見えない痛みを、見える希望へ。
これは、新しい痛みの理解のはじまりである。
次回は症例→サッカーの試合中相手と激しく接触し、病院へ、診断は十字靭帯断裂・・・・。


